死ぬ時は何も残さずにいきたいと思った話

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こんばんは。ひろあきです。今回は亡くなった方の物を片づけたんですが、その時の話を書きますね。本当にただの雑記ですので、お時間と興味のある方だけ読んで下さい。

作業所の開かずの間の荷物を片づけた

自分はあるA型作業所で働いているのですが、そこの作業所は施設長(要は経営者)の3階建ての自宅の2階部分を使っています。で、作業所にはいわゆる開かずの間があったのですが、昨日その開かずの間をついに片づけて自分たち利用者の増加に対応しようということになりました。

その開かずの間は6畳ほどのウォークインクローゼットなのですが、そこには数年前に亡くなったという施設長の奥様のお母様の服やら布団がしまい込まれていました。それを施設長と自分を含む男性の利用者で、3階の施設長の家族の居住スペースや1階の収納スペースに運び出したり、ごみとして処分したりしました。

お母様は6畳のウォークインクローゼットを作ってしまうくらいなので、相当の着道楽だったらしく、洋服やら和服がものすごい数出てきました。で、自分は大部分を捨てるのかなと思っていたのですが、そのほとんどを取っておくことにしたようです。

死者の持ち物が生者の居住スペースを圧迫する違和感

片づけではタンスを3つ、施設長の居住スペースに運び込んだのですが、そのタンスを入れるために施設長はベッドをひとつ処分しています。

で、片付け自体は無事終わったのですが、自分は昨日一日ずっともやもやしていました。その原因がなんなのかわからなかったのですが、今日この記事を書くことにして、ようやくわかりました。

それは死者のもう使われない物が、生者の貴重な居住スペースを圧迫することへの違和感、いやもっとはっきり言うと拒否感だったのです。

確かに思い出が詰まっているので捨てられないというのかもしれませんが、思い出のために今の生活が窮屈になるなんてまさに本末転倒というやつです。

物が少ないという幸せ

さて、ここで自分の部屋はどうだろうとふと思いました。1年半前に持ち物の4割ほどを処分してから、自分では物が少ないと思っていますが、片づけて以来物は少しずつ増えていますし、見る人が見たら物が多いというかもしれません。

それでも以前に比べると物が少ない分、一つ一つの物に対する愛着が増しましたし、何よりもし自分が今死んだとしても自分の物を片づけるのには1人の人が2時間もあれば終わってしまうくらいの量しかありません。

でも、自分にとっては価値のあるものでも他の人から見るとガラクタ同然ということも今回の片づけを通じて学びました。だから、自分が歳を取れば取るほど更に物の数を減らしていきたいと考えました。そして自分が天寿を全うしたときには全く物を残さないでいきたいと強く思いました。

20世紀までの価値観では、物を多く所有している人が偉いという感じでしたが、今では持っている物はできるだけ少ないほうが豊かな生活が送れるということがみんなわかってきたと思います。

自分の価値観が間違っていなかったということを昨日の作業所の片づけを通じて、再確認できました。

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

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